雛祭り、手まり寿司との邂逅

ふらりと立ち寄ったスーパーの鮮魚コーナーで、視界の端に何やら可愛らしい色合いのものが映ったので、近づいてみると、ひな祭り仕様の可愛らしい手まり寿司でした。

丸っこくてちまっとした酢飯の玉に、錦玉子だの、サーモンだの、マグロだのといった、パステルカラーの美味しいものたちが、これまたちんまりと、慎ましく乗っかっているのが、パックの中にぎゅうぎゅうと、文字通りすし詰めになっているのを見て、もう、たまらない気持ちになりました。

こんなにも可愛らしいものどもが、消費者の手に渡るのを、大人しく待っている。なんていじらしいのだろう。今すぐ口の中に全部放り込んで咀嚼したい。ふかふかのクッションを敷き詰めたガラスの箱の中で、未来永劫可愛がっていたい。逆方向の思いがが同じくらいの強さで在る。心がちぎれそう。

概ねこのようなことを思いながら、しばらく手まり寿司に目を奪われていました。感極まって、脚や指先が少し震えていたと思います。

手まり寿司を見た瞬間は、「何としてでもこいつらを買って持って帰りたい」という衝動に駆られました。しかし、手まり寿司可愛さのあまり、常温で何時間もいじくり回した挙げ句、暖房と手の熱で腐らせてしまう自分が容易に想像できたので、奥歯を食いしばって購買意欲を堪えました。食べ物は食べ物としての使命を全うさせてあげられる人の手に渡るべきです。


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手まり寿司への行き過ぎた執着と熱情を発散するために描きました。

パステルカラーでひな祭りをイメージしています。

3月3日のひな祭りは、うさぎの日でもあるらしいので、うさぎ仕様にもしています。

叶うのであれば、いつか、子ウサギのようにぷるぷると震える手まり寿司を飼いたいです。手まり寿司に餌をやったり、手まり寿司の背中に軽く歯を立てて愛でることができたら、きっと幸せだと思います。

 

2024 バレンタイン

 

𝐻𝑎𝑝𝑝𝑦 𝑉𝑎𝑙𝑒𝑛𝑡𝑖𝑛𝑒'𝑠 𝐷𝑎𝑦……


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今年もバレンタインが来ましたね。

 

この時期出回るお菓子や雑貨を彩っている白、赤、ピンク、茶色のバレンタインカラー、ハートやリボンなどのガーリーなモチーフが大好きなので、毎年心待ちにしています。

今年も街中やインターネットに、ピンク味のある可愛いものが溢れていて幸せです。

 

バレンタインによく見かけるものの中で、特にいいなぁ、と思うのは、チョコレートやクッキーの缶です。

お洒落で可愛くて素敵な缶の蓋をそっと持ち上げると、そこにあるのは、小さくて愛らしいお菓子たち。あまりのいじらしさに思わず抱きしめたくなるけど、少し力を入れて触れただけで、砕けてしまうほど繊細。口の中で転がせば、甘い香りと味で楽しませてくれる。味まで可愛いくて、幸せ。

全ての要素が徹底して「可愛い」と「儚い」と「嬉しい」で構成されてる。こんなに幸せな物体をお金で買えるの、ありがたいですね。

お菓子の缶がかなり「箱庭的」なのも、私の心を捕らえて離さない要因です。

昔から、「ひとつの確かな世界観に沿って、モチーフがぎゅっと詰め込まれた小さな箱庭」のようなものが好きなのですが、お菓子の缶は、一種の箱庭だと思っています。

ものにもよるでしょうが、大概は、缶のデザインが示しているテーマや世界観に沿って作られたお菓子が詰め込まれています。それが、嬉しい。なんでそれが嬉しいのか自分でもよくわかりませんが、嬉しいんです。一個の小さな小さな世界がそこにあると嬉しいんです。

コンセプトがしっかりあれば、布の袋や紙箱でも箱庭感は出ますが、金属製の缶だと、その世界が、我々人間の世界とは強固に区切られていて、より「不可侵の世界」感が出るので、そこがいいなぁと思います。

 

私の創作世界の「ふわふわ星」も、お菓子の缶みたいに、統一されたコンセプトで、可愛くて儚いものたちをぎゅっと閉じ込めた、小さな小さな楽園にしたいな、と思っています。

 

脳葬

今日は、夢の中で葬儀場に行きました。

海の魚たちのための葬儀場です。

 

そこは、人間の葬儀場とは似ても似つかないものでした。深い青の水で満たされた大きな水槽に、カサの直径は15メートル、触手の長さは30メートルはあろうかというくらい、大きな大きなクラゲが漂っているのです。

 

そのクラゲの、半透明の白いカサの内側には、人間の脳のような、ピンク色の器官がついていました。それはとても大きくて、おそらく直径は10メートルはありました。そして、ところどころ黄色いシミと、茶色の錆のようなものが付着していました。本来の姿は、きっとひと目見ただけでひれ伏してしまいたくなるくらい、美しくて神々しいクラゲでしょうに、脳のシミと錆のせいで、なんだか弱々しい印象を受けました。

 

そのクラゲの周りには、数え切れないくらいたくさんの銀色の小魚が、ぐるぐると泳ぎ回っていました。そして、カサと脳の隙間に入り込んで、茶色の錆に口をつけたり、頭を押し付けたりしていました。

 

そのあたりにいた魚が言うには、あの魚影は全部、死んでしまった魚の自我の残滓のようなもので、今までの魚生で見た海のことや、仲間の魚と過ごした大事な記憶を、全てあのクラゲの脳の中に流し込んでいるそうです。クラゲの中に流し込んだ記憶は、本魚の中からは消えてしまって、そうなれば自我の残滓も跡形もなく消えてしまうけれど、クラゲの栄養として役立つ、とのこと。

こうやって、一切の記憶をクラゲに託すことを、魚の世界では脳葬と呼ぶみたいです。

 

お魚はみんなあのクラゲのことが大好きで、クラゲの栄養になって消えていくのは、魚にとって、とても喜ばしいことなのだそうです。

クラゲは、今は、病気にかかって、体がしぼんで、錆のようなものができてしまったけれど、たくさん栄養をつければ、いつか元気になるかもしれないので、魚生の中で少しでも多く、質の高い記憶を作れるよう、みんな一生懸命色んなことをしているらしいです。

 

そのことを教えてくれた魚は、弟が死んでしまったので、クラゲに記憶を託して消えていくのを見に来たんだそうです。たくさんの銀色の魚影が、脳に頭を付けて、必死に体をくねらせているのを、眩しそうに見ていました。